ニートの名言「欲しいものは、全て手に入った」

ニートの哲学

皆さんが欲しいモノって何ですか?

僕には欲しいものがありません。

というのは、大体の欲しいものはすでに手に入れてしまったのです。

僕が人生をかけて最も欲しかったのは、殺されない環境です。

幸福なことに私は平成の時代の日本という国に生まれたので生まれた瞬間にこの願いはかなってしまいました。

 

次に僕が欲しかったのは暖かい部屋です。

これも、幸運ゆえに生まれた時から手に入れていました。

 

そして3つ目に僕が欲しかったのは、お腹が空けばご飯が食べられるという環境です。

これに関してはたまに食べられない時もありました。

とはいっても近くのお店に行けばご飯が売っていますので、食べられない期間と言ってもせいぜい1時間や2時間程度です。

 

この文章を見ている中でまだこれらを手に入れていない人はいるでしょうか。

このブログは全世界に発信しているためおそらく戦争や病気により、身近な人がどんどんと死んでいく、そんな境遇の人もいるかと思います。

しかしそんなあなたたちに、僕ができることは何一つありません。

僕は世界中の不運な人を助ける為の力がありません。

 

僕がこのような幸福な環境に生まれ育ったのは、僕の能力ではなくただ単に運が良かっただけなのです。

僕が頑張って日本人に生まれたわけではないのです。

頑張って日本から戦争をなくしたわけでもないのです。

頑張って食料を大量生産するための技術を開発したわけでもないのです。

 

僕はたまたま運が良く、戦争の終わった時代に、日本という国に、生まれただけなのです。

 

そしてさらに幸福なことに、インターネットができる環境があったのです。

ただ生きられるというだけではなく、無限に時間を消費することができるインターネットと言う世界を手に入れることができたのです。

 

もう僕にはこれ以上欲しいものなんてありません。

僕はあまりにも多くのものを頂いています。

とても一人そして一度の人生では消費しきれない量のモノを頂いています。

 

明治や昭和の時代は、映画が大きな娯楽だった時代です。

そんな頃に自宅に試写室を設けることが出来る家なんてありませんでした。

中くらいの映画館に、すし詰めのように人が入り、何度も何度も同じ映画を回し続け、同じ映画ばかりを見る、それでも面白いと感じられていたのが当時の映画なのです。

自分の家のベッドにいつでも好きなように映画を見れる環境を作るというのは、人生を賭けてもいいくらい大きな大きな夢として成り立つほどです。

 

しかし僕は当時としては、ありえないような、夢のような環境を手にしているのです。

ベッドに寝ながら小さな板状のスクリーンに何千本という中から好きな映画をほぼ無料とも言える低価格で見ることができるのです。

映画を観ることが唯一の楽しみ、といった人もおそらくいたでしょう。

そんな人がこの夢のような端末を手に出来るとしたら、 どんな努力も惜しまないでしょう。

 

しかし僕は何の努力もせずに、この環境を気にしてしまいました。

 

僕たちは何と幸福なんでしょうか。

人生全てを賭けても、いかなる努力をしても叶わなかった、この人たちの夢を、いとも簡単に手にしてしまったのです。

 

これ以上何も望むことなんてありません。

我々の多くは一体何を目的にお金を稼ぎ働いて消費してるのでしょうか。

 

なぜこのような幸運な世の中で、苦痛を強いるのでしょうか。

目の前に膨大な、過去の人々が羨むほどのモノが溢れているというのに、これ以上何を求めると言うのでしょうか。

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