幸せというのは相対的なものなのか、それとも絶対的なもの?

ニートの哲学

今日はAmazonのプライムビデオで「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」を見ました。

彼は天才的な才能を持った人間であり、やろうと思えば、巨大な富をも得られましたが、最後には死を選びました。

彼のもっていた才能と境遇は、幸福にるために十分だったけれど、時代は彼を幸福にしなかったのです。

相対的幸せ

ボク達の多くは、相対的に幸せを実感してしまいます。

Aさんよりも自分が幸福かどうかを天秤にかけて、自分の幸福度を測定してしまっているのです。

 

今の時代テレビがないというのは相当貧乏です。

それは、今の時代では、テレビはかなり安く、簡単に手に入れることができる電化製品だからです。

昭和初期では言わなくても分かる通り、時代はテレビがなくとも人を幸福にすることができました。

 

ボク達が今行えているあらゆることは、生物としては必要以上に不必要なことだったりするのです。

テレビがあって、パソコンやスマホがあり、インターネットに繋がる世界。

飢えること無くご飯が食べられるのは、これ以上無い幸福です。

しかし、ボク達人間はその時代に合わせて最低幸福度の底上げをされているのです。

 

 

映画「イミテーション・ゲーム」の主人公は

  1. 数学の天才として生まれ
  2. 国により雇われ
  3. 戦争の危険がない場所で
  4. 敵の暗号解読という難題に挑んでいたのです。
  5. しかし、彼は同性愛者だったことにより、殺されそうにもなります。
  6. 最後には国から精神的攻撃をされ、自らの命を断つのです。

 

1~4までは相対的に見ると幸福です。

5~6も相対的に見ると不幸です。

 

しかし

1~2までは絶対的に見ると幸福ですが

3~6は絶対的に不幸です。

 

現代は戦争がないだけで幸福なのです。

戦争があることで幸福を感じてはいけないのです。

 

今の社会は、無理やりものの価値を底上げし、幻想的な価値に惑わされています。

テレビがあり、パソコンやスマホ、インターネット。そして食べ物がある環境がどれだけすごいことなのかを知らないのです。

高い食器も要らなければ、高いテーブルもいらないのです。

高い食べ物もいりません。

 

ボク達は無理やり、無意味に釣り上げられた価値あると思われるモノを買うために、無意味に働かされているのです。

今の時代の技術を持ってすれば、人一人が幸福に生きるためには、1日1000程度あれば事足りてしまうのです。

しかし、それを無理やり品質を上げ、必要性を感じさせ、1日に10000円以上無いと生活できない様に偽っているのです。

 

100円の食器と3000円の食器ではなにか違いがあるのでしょうか?

30円のラーメンと1200円のラーメンでは40倍も価値の差が本当にあるのでしょうか?

希少価値と美味しさや必要性を混同しているのではないでしょうか?

 

今のこの世界が最も必要としているのは、お金を潤沢に持ち、労働する必要がない3割の大金持ち達です。

人類の7割の人が労働しているのは、彼らのためでしか無いのです。

彼らは1000円のスプーンを3000円と言っているだけなのです。

スプーンは10円あれば買えるのです。

 

ボク達が働かなくとも、誰かが働いてくれるのです。

誰かとは人間とは限りません。

奴隷が居た時代では、貴族は働く必要なく奴隷が働いて国を維持してきました。

今では、そのどれ以上に従順で、使える奴隷たちがたくさんいます。

機械です。

時代は変わったのです。

早く気付いてください。

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