ニートの名言「なんでみんな働いているの?」

ニートの哲学

僕はなぜみんながこぞって働いているか分かりません。

働くというのはひとつの生きる手段でしかないと思うのです。

もちろん働きたい人は働けばいいと思うけれど、働きたくない人は働かなくていいと思うのです。

みんながみんな同じことをしなくていいと思うのです。

人それぞれ得意不得意があるのです。

働くのが苦手な人は働かなくていいのです。

よく障害者を支援して頑張ってお店を経営している団体がいます。

障害者は普通の人と比べて手が不器用だったり、作業をし続けるということが辛かったりします。

それなのにがんばって補助して、働かせてあげる必要ってあるのでしょうか。

障害者は僕達と比べて劣っていると思う人がたくさんいると思います。

しかしそれは劣っているのではなく、ただ違っている、だけでしかないのです。

 

あなたが得意なものは僕は苦手かもしれないのです。

当然その逆もあり得ます。

 

例として障害者を出しましたが、彼らになって得意なことはあるのです。

僕たちができない特別な経験を彼らはしてると思うのです。

ゲームで言う縛りプレイです。

僕たちが知らない世界を彼らは知っているのです。

その情報を知るというのはとても面白くためになると思うのです。

NHKでやっているバリバラという番組がその一つでもあると思います。

会話が苦手なら文章にすればいいし人それぞれ得意な方法で生きていけばいいのです。

 

それでは何も得意なものがない人は生きる価値がないのでしょうか。

人間は誰かの為にならなければ生きる価値がないのでしょうか。

いいえ違います、特に僕たちは生きる価値なんて考える必要ないんです。

価値があるかないかなんて、決める必要もないんです。

 

もし今が江戸時代なら、他人を蹴落としてまで生きる必要はあるかもしれません。

厳しい世界です食っていくのも大変な世界ですそれが生き物の常識なのです。

しかし今の人類はその生き物の常識を超越した技術力と豊かな環境を手にしています。

果たしてそんな現代でもいきものの常識を適用していいのでしょうか。

 

今の人間の技術をもってすれば人間は寿命を迎えるまで生き続けることができるのです。

それは一部の天才による技術の賜物です。

僕たちは数少ない天才によって生かされているのです。

 

それでは天才じゃない人類の99%は、生きる価値のない不要な存在なのでしょうか。

いいえ違いますよね別に死ななくたっていいんですよ。

ただ単に生きててもいいんですよ。

一部の有能な人に生かされていいんですよ。

 

有能な人が運が良かったんです。 DNAに無能の烙印を押してもらえてたのですから。

有能の知恵は生きている人間全員で分かち合えばいいのです。

逆に独り占めしてしまったら馬鹿な国民に殺される可能性があります。

それならみんなで分かち合った方が天才にとっても得なのです。

 

もはや全人類が労働する必要があると言う価値観は通用しないのです。

人一人が頑張って動くよりも機械が したほうが何百倍も効率がいいのです。

無能な人間が頑張って働いても雀の涙なのです。

 

しかしその無能な人間も違う分野ではちょっとだけ有能になれる可能性もあるのです。

それなのに我々人間は、むやみやたらと無能な人間を働かせようとするのです。

 

それって何か意味があるんでしょうか。

僕には理解できません。

 

無能な人間に仕事を無駄に割り振っても、割り振らなくてもたいした違いはないのです。

それなら突然変異に賭けて、好きなことやらせた方が何倍もお得な気がするのです。

そしてその一人を生かす費用というのは結構安かったりもするのです。

それにその方が、本人も周りも幸せなのです。

幸せを考えずに労働させるというのは奴隷制度と何ら変わりはないのです。

 

無理やり働かせるのが大好きな人は、奴隷制度の復活を願う人なのです。

より相手のことを考える人は、むやみやたらと働かせるのではなく相手にとって最善の方法を一緒に考えてくれるのです。

生きるとは働くことではないのです。

人間は遊ぶことに多くの時間を割ける唯一の動物なのです。

 

その唯一の特権を、運よく手にしたのに、みすみすドブに捨てているのが今の人間なのです。

ニートというのはそこまで考えた上で、ニートになっているのです。

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