ボクも昔は仕事をしていました。
いろいろな種類の労働をしてきましたが、どれも私に合うものはありませんでした。
仕事に自分を合わせる
よく、仕事が楽しくてしょうがない人は
「自分に合う仕事を探すのではなく、仕事に自分を合わせるのだ。いくら探しても自分に合う仕事は見つからない」
と言います。
ボクもこの言葉を信じて、がむしゃらに頑張るだけではなく結果を出すと言う目的を達するために努力をしてきました。
仕事に関する書籍を読みわからないことは上司に相談する、そして自分の能力を向上させるために努めてきました。
過去に僕が務めた仕事の中で最も長く継続できたのはスマートフォンの販売スタッフです。
ベンチャーの企業で社員数は約150名ほどでした。
はじめの一年半は自分自身の性格の改変に努めました。
女性ともうまく話せないこの僕の体質を根本から変えようとしたのです。
通常であればこんな性格は学生時代に、改善することができていると思います。
しかし僕のいた学校は高専というほぼ9割男子校の学校だったため、条件としてはあまりよろしくなかったのです。
当時の僕の目標はとりあえず彼女を作ろうというものでした。
学生時代よりもたくさんの女性がいる環境でたくさんの人と会話をしました。
この1年半でどんな女性とも会話をすることができるようになりました。
時には女性と一対一で遊ぶこともできました。
そして人生初の告白もできました、惨めに散ってしまいましたが。
でもいいのです。
僕の目標は達成したからです。
1年半という器官で僕の性格は180度変えることができました。
しかし内面の僕という人間はほとんど変わっていません。
根本的に女性と話すことは楽しいけれどやはり緊張がするものです。
知らない人と話すのも緊張忘れ物です。
話すことはできても根本のコミュニケーションが好きではないというのは変わらなかったのです。
そこでも僕はこの会社で学べることはないなと思い止めようとしました。
しかしそこでもう一つ新たな目標を見つけたのです。
それはこの会社で営業成績をしっかりと残そうというものでした。
携帯を売る会社ですから、販売台数が成績としてカウントされます。
今までの目標は僕の性格改変で下から、成績の向上には最低限の労力しかかけていませんでした。
一つ目の目標を達成したので、労力を大きく成績向上にシフトチェンジすることにしました。
おかげでその数ヶ月後には毎月の予算を達成し、会社にて胴上げをしていただくほどになりました。
著しく成績が伸びたボクは経営陣の方と食事にも行ったり社長含めた4人だけで、食事に行くこともありました。
しかし僕にとってはこのようなことは何一つ面白みがありませんでした。
成績が上がると皆から表彰され、より仕事が面白くやりがいができると思っていました。
毎月の成績を達成するための努力は非常に苦痛であり、表彰時に胴上げをされてもうれしくありませんでした。
今月の目標から解放されたというネガティブな思いの方が圧倒的に強かったのです。
社長との食事会もそもそもコミュニケーションが好きではない私にとっては非常に面倒くさかったです。
仕事が終わって家に帰って映画やゲームをしたいのに、代わりに食事に行くというのはそれらを天秤にかけても嬉しくなかったのです。
そして僕の成績が良かった時期はそれと引き換えに大きな代償を支払っていました。
それは健康です。
労働時間が極端になかったというわけではありません。
当時計算した時は、平均約1時間半前後の残業程度でした。
月換算で30時間程度です。
残業代も一応出ておりました。
至って普通です。
しかし僕の場合は、過敏性腸症候群という、ストレス性の病気を患っていたのです。
ボクの症状としましては、1~2時間間隔に便意を催してしまうというものです。
実際には出ない場合方 なんですが、トイレに行きたくてしょうがなくなってしまうのです。
そして出るときは100%液状化した下痢状態の便でした。
最初の1年半もこの状態は緩やかでしたが、成績を出すために奮闘している間はさらに激化してきました。
つまりこの仕事をしていた3年間はほぼ下痢でした。
電車通勤だったのですが15分しか乗らない電車でさえ、途中下車してトイレに駆け込んでしまうほどだったのです。
家を出る前には必ずトイレに入っているのですが、それでも我慢できないのです。
トイレに入ってから家を出て、電車降りた後にもトイレに行き、会社に着いてからもトイレに行っていたのです。
いつ、便意を催すかわからない恐怖から、時間があればトイレに行きたいと思ってしまうのです。
幸いなことは仕事をするところには、トイレがあったことです。
そしてその仕事をやめるとたちまち通常の便に戻ったのです。
当時は、便秘の人が非常に羨ましく思っておりました。
働いていればいずれ、慣れるかと思っていたのですが、3年経っても慣れなかったのです。
自分を仕事に合わせるというのは、本当に正しいのでしょうか。
僕はこれ以上仕事を続けていれば、どうなっていたかわかりません。
毎日電車に乗りますから、そこで何かを起こしてしまっても不思議ではありませんでした。
会社の人はとても優しく、休みの日は一緒に遊ぶときもありました。
しかし仕事の内容は僕には合っておらず、慣れるできなかったのです。
人間とは皆違う生き物なのです。
誰かには適した仕事でも、他の人には恐ろしく苦痛であるという場面はよくあることなのです。
全ての人間に逃げ場を作ってあげるというのは全ての人間にとって有益なことなのです。
でなければ耐えられなくなった人間は、突如暴徒と化し他の人間を攻撃し始めるのです。
そうしないために、社会はニートを容認しなければならないのです。