ニートというのは行動力無き、タダの害悪なのだろうか?

ニートというのは行動力がないと言われがちですが、私は決してそうではないと思うのです。

仕事をせずに家にいるということ自体、とても行動力が高いとも思えます。

その行為を実行に移すためには、非常に大きな決断力を必要とします。

そしてそのニートの行動の結果多くの人は彼らをバカにしてしまうのです。

しかしニートとは無意味にニートでいるわけではないのです。

彼らなりにも、ある程度の目的をもってニートとなっているのです。

何も考えずに毎日仕事をする人間より、しっかりと未来を見据えて行動をしているのです。

 

ニート全員が数十年先の未来まで見通している、とまでは言いませんが、多くの人間よりも未来を歩んでいるのです。

 

明日のことを考えるので精一杯のような人間はニートにはなれないのです。

その日一日頑張れるだけの思考があればニートにはならないのです。

しかし、ニートというものは遠く先まで見てしまうために、ニートになってしまうのです。

 

現在やっている仕事を数年先まで続くと考えた時に、ニートは仕事を辞めてしまうのです。

ニートは知っているのです。

何十年も仕事をし続けても、決して幸せになれない現実が待っているということを。

 

果たして日本の中でどれだけの人が毎日仕事をやり続け、幸せになっているでしょうか。

僕たちの生きる目的というのは仕事をして、他人から認められ、他人から賞賛を浴び、他人から悪い印象を受けないことが、僕たちの幸せなのでしょうか。

ニートというのはそこまで考えた上で仕事を辞めているのです。

 

40年間自分の人生を捨てこれらの名声を得たとして、果たして僕たちは幸せなのでしょうか。

毎日仕事の愚痴を言いながら、40年過ごしていくのは幸せでしょうか。

 

おそらく40年その仕事を続けられる人は一握りです。

多くの人は耐えられずドロップアウトしてしまいます。

20年経った時にドロップアウトするよりも、 3年経った時にドロップアウトした方が残りの人生を有効活用できるのではないでしょうか。

 

ニートというのはそこまで考えた上で仕事を辞めているのです。

 

ニートというのはひとつの行き方なのです。

考え方の違いなのです。

性格の違いなのです。

 

ニートという一つの人種が生きづらいのが今の世の中なのです。

 

今のブスは1000年前は美人だったかもしれません。

今の天才は1000年前はキチガイだったかもしれません。

今のロリコンは1000年前は優しいおじさんだったかもしれません。

今のニートとは1000年前は哲学者だったかもしれません。

 

今の時代はたまたまニートにとっては生きづらい時代だったに過ぎないのです。

ただの流行なのです。